人生で初めて見たNHK大河ドラマ「真田丸」もとうとう最終回の放送を終えました。
1年間、全50回の放送を振り返って……。
見てましたかぁ?…、真田丸!!
こないだの放送で1年間、全50回の放送が終わってしまいました…。
好きなドラマなら、もっと続いてほしいなぁ…なんて思うんですが、真田丸の主人公、真田信繁は最終回で死んでしまった(?)ので、もう続けようがないんですよね…。
最初は1年間もドラマを見続けられるのかが何より心配だったんですが、毎回毎回面白くて、次が楽しみぃ~と思いながら1年が経ちました。
真田丸のおかげで歴史にも興味が出ましたし、いい出会いに感謝しています。
さてと…、真田丸を最終回まで見て、やはり30年前の真田丸「真田太平記」と比較してしまいますよね。
真田太平記は、真田丸を見始めて話の先が気になって見た大河ドラマ、あれっ?、こっちの方が先に最後まで見たから、真田太平記が人生初の大河ドラマなのかな?
まぁ、どっちでもいいか(笑)
真田太平記は昔の時代劇だからか、時代劇時代劇してましたが、真田丸はそうでもなかったですよね。
真田太平記は哀愁を感じるっていうのかな、すこし寂しい感じでしたが、真田丸は面白さをあちこちに入れてて楽しかったですね。
どっちが良かった買って…、どっちもよかった!!、別のドラマとして…(笑)
30年前の真田丸「真田太平記」でも、2000年の大河ドラマ「葵 徳川三代」でも、ウィキペディアを見ても、真田信繁は夏の陣で徳川方の鉄砲隊に打ち取られ…ってなってるんですが、一部では九州に逃れてた…なんて説もありますよね。
真田丸の最終回、誇り高い死などない…、生きた歴史を残せたか…、どんな最後を迎えても…、大切なのはどう生きたか…、などなどのシーン、何か深く感じました。
あと、秀頼と茶々の最後も、燃え盛る大阪城の中で自害…とかもあえて描かず、いまだ解明されていない歴史もあるのでは…なんて考えちゃいました。
だってね、私は小学生の頃、エジプトのピラミッドは王様が奴隷に鞭打って作らせた…って習いましたけど、農業ができなかった時期に仕事として給料を払ってさせていた…なんて歴史になってますもんね。
大層に1万円札の肖像画になってた聖徳太子の肖像が、あれも聖徳太子じゃないみたいですし、鎌倉幕府ができたのは1192年じゃないとかいうし…、その時代に生きた人がいないんだから、ほんとのところはわかんないんですよね。
本筋はこうだけど、ひょっとしたらこうだったかも…、この考え方が無限の可能性を生むし、ドキドキもワクワクも生む…。
ひょっとしたら、後藤又兵衛が討ち死にしたのはうちの家の敷地なのかもしれませんよね!!
もしそうだったら…、喜んでいいんだろうか…(汗)
歴史って見方に寄っても全然違うし、戦争に勝った側が残す文献と負けた側が残す文献って全く違うと思うんです。
勝っても負けても、ゲタを履かせて大げさに残してるでしょうからね(笑)
今ね、真田丸と同じ時代の大河ドラマをもう1つ見てて、それももうすぐ最終回なんですが、そっちも面白いんです。
いろんな角度から見ていくと、いろんなことが見えてきます。
次の大河ドラマもこの流れで見てみようかなぁ(笑)
コメント
真田丸では、秀頼は、情けなさ過ぎでしたなぁ
家康が自決直前のシーンがあったけど、ありえないなぁ『笑)
私は、現在、科学が発達した今
DNA鑑定で、秀頼は、秀吉の子供ではなくて、石田三成か真田幸村の子かを判定できぬもんかねぇ。将来できるかもだよ。
同じ時代ノドラマって、何をみてるのかなぁ
真田丸の秀頼は一番マシだったんじゃないかな?
真田太平記と葵徳川三代ではもっと情けなかったですよ。
「マザコン」って感じが強かったです。
140cmくらいしかなかったであろう秀吉から、190cm160kgの秀頼が生まれるなんてない…ってなことから、石田光成とか真田信繁の子供じゃないか…なんて説もありますね。
でも、光成も信繁も身長は150cmくらいしかなかったらしいですからねぇ…。
遺伝的には小さかったのかもしれませんが、太閤の息子として食べ物に不自由することはなかったし、生活は大きく育つ環境だったでしょうし、本当のところはどうだったんでしょうね…、面白い(笑)
秀吉、秀頼、光成、信繁の遺骨でも出てくれば遺伝子を調べられるでしょうけど、出てくるのかな?
30年ほど前に大阪城跡を掘り起こす調査で骨が出たらしいですね。
数人の骨と、首を切られたような感じの骨が…。
これが秀頼なのかどうなのか…、それもわからないんですよねぇ…。
でも、伊達政宗の遺骨は今も存在するから遺伝子を調べることもできるみたいですよ。
身長もミリ単位でわかるみたいですし、顔は堀が深かったらしいです。
たぶん、頭がい骨の形から声も大方分かるんじゃないかな?
あらら…、同じ時代の時代劇…、ヒントになりましたね(笑)